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ヒメゴト

「ぐあッ!!」
不覚だった。
奴と対峙するときは、常に周囲に気を配っているつもりだったのに。
突然の電撃が体中を襲った後、スッと意識が遠ざかった。
ああ、負けてはいけない、いけないのに。
叱咤する自分を無視して、視界はフェードアウトした。




「ふん、口ほどにもない。
 やはり虫けらは虫けらだ」
そう吐き捨て、皇帝は倒れたフリオニールを一瞥する。
夢だなんだと言う割に、実力がそれに伴っていないようでは話にならないと思う。
それが分からずにその言葉を叫ぶ目の前の男を、彼は反吐が出るくらい嫌悪していた。
「中途な夢と共に、朽ちるがいい」
長い杖をかざすと、フッと魔法陣が浮かび上がった。
そこから火球が飛び出し、倒れている彼に襲いかかる。
そのときだった。


無抵抗なはずの彼が、それをはじき返したのだ。



「な…!?」
「悪いな、この体に傷を増やさないでくれないか」
皇帝の目の前に立ちはだかった男は、宿敵の姿をしていたが全くの別人だった。
ぎらぎらと熱意と憎しみに燃えている目ではなく、氷のように冷めて鋭い視線。
落ち着きのある雰囲気といい、隙のない気配といい、普段の彼とは到底思えない。
あまりに馬鹿げている、と思いながらも、皇帝は疑問を口に出さずにはいられなかった。
「貴様、何者だ?」
「俺に名前なんてない。
 ただ、こいつは俺が護ると決めた。」
彼のトレードマークのバンダナをするすると外し、まるでターバンのように額へと巻きつけた。
そして腰につけた赤い剣を抜き出し、スッと構える。
その構え方すら、別人を思わせた。
「こいつに危害を加えるなら、俺はあんたを斬る」
「虫けら風情が、戯言を…!」
無表情な瞳が淡々と告げる言葉に、純粋に苛立った。
杖を振りかざして魔法陣を浮かび上がらせる彼に、容赦なく飛び込むその姿は、さながら騎士のようであった。




「はぁ…はぁ……」
元々弱りきっていた体で無茶をしたのがいけなかった、と彼は自己嫌悪していた。
結局、相手にはあと一歩というところで逃げられてしまった。
皇帝が好んでいるあの城は迷宮のようで、彼が外へ出て水辺に行くまでにかなりの体力を奪った。
川が流れる音が近くなり、それに伴って茂みも深くなる。
もう日もとっぷり暮れてしまった。
今はここで体を休ませなければ、次に目覚める「彼」の負担になりかねない。
ようやく水辺に辿り着いた彼は、額を覆う布を外し、そのまま川に顔をつっこんだ。
ピリピリと痛むが、冷たい水が心地よかった。
勢い良く顔を上げれば、水面が激しく揺れた。
そして、その揺れが落ち着いてきたときに、月明かりが彼の顔を映し出す。

「おかしいよな、俺」

水面に映る自身に手を伸ばすが、やはり掴めるはずもなく、波紋が広がった。
「同じ顔した、同じ男だってのに。
 ……お前の事、好きでたまらないんだ」
スッと引っ込めた手の動きで、また波紋が広がる。
どうして同じ体に宿ってしまったのか、酷くもどかしくなる時があった。
彼は、「彼」が起きている間のことは何も知らない。
彼が知っているのは、苦しんで傷つく「彼」の姿だけだった。
「お前をいつも護れたらいいのに」
再び水面に映し出された顔は、歪んでいた。
目を伏せ、水面に顔を近づける。
そして、彼は祈る。




俺が何のために彼と共にあるのかは分かりませんが。
この偽りの口付けだけは、どうかお許し下さい。

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