忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

Cuisinier boudeur

「で、今度は何を割ったんだ」
「…コーヒーカップ一つ、です」
そういうコックの顔は、非常に納得のいかない表情だった。





「まったく、それで何度目だ」
コーヒー豆と紅茶のチェックをしながら、店主はため息混じりに聞いた。
もちろん、彼は正直なところ笑いを堪えるのに必死である。
コックもそれを知っているのか、厨房から叫ぶ。
「何度目も何も、貴方がからかうのが悪いんでしょう!?」
「責任転嫁はよくないな」
「俺は事実を言ったまでです」
不機嫌です、と訴えるようなコックの話し方に、店主の堪えていた笑いが少し零れた。
しかし、明日出す料理の下ごしらえの真っ最中である彼には、フッと漏れた笑みまでは届かない。

朝よりも忙しなく動く彼を見ながら、店主はよくここまで体力が持つものだと感心する。
コックの仕事は地味なように見えて、実は力仕事の連続であることを彼は知っている。
あの甘いケーキでさえ、作るためにかなりの力が必要なのだ。
それを客の波はあれど、ほぼ半日近くやり続けるというのだから頭が上がらない。
しかも、彼の場合はそこへ更に苦労させる要因がいくつか追加されるというのだから性質が悪い。
そう思ってはいながら、店主にはそれを止める気などまったくないわけだが。



機材の洗浄やコーヒーなどのチェックを終わらせ、明日注文するものをメモに書き留める。
売り上げの確認を行おうとして、ふと昼にやってきた淑女のことを思い出した。
彼女はコックにチップを置いていった。
近年ではチップ自体が珍しいものだが、それを抜きにしてもそれをコックに渡すのは珍しいと思う。
客と接する機会が少ないコックと、客を相手に仕事をするウエイター。
どちらがチップをもらう機会が多いのかは明白で、このことから多くの店ではチップの受け渡しを禁止している。
店主自身はそれが何らかの気持ちの現れであるなら断るべきではないと思っているし、現に片手で数えられるくらいはもらったこともある。
もっとも、それらは店の売り上げに加算されたが。

しかし、今回これをもらったのはあの生真面目なコックだ。

手渡すことはおろか、給料に含めて渡しても受け取ってもらえないことは目に見えている。
しかし、彼宛のチップを勝手に店の売り上げに加算するのもいかがなものかと店主は思っていた。
釣銭程度しかないとはいえ、これは彼のものになるべきなのである。
「さて、どうしたものか」
宙に浮いたチップを見ながら店主は思案した。
そう言えば、以前コックは何らかの調理器具を欲しがっていなかっただろうか。
その購入費に充てれば良いだろうと結論付ける。
それなら何を欲しがってたか確認しようと、店主は厨房に向かった。



厨房に入った店主は、いまだ作業中のコックに軽く睨まれた。
その視線から、まだ彼が不機嫌であり警戒されていることを悟るのは容易だ。
「…何しに来たんですか」
「新しい調理器具の補充の当てが出来たから、何が必要か聞きに」
店主の一言にコックは目を見開いた。
しかしそれも一瞬だけで、またじとりと彼を睨む。
「今日割ったカップの補充でもすればいいじゃないですか」
その返答を聞き、どうしたものかと店主はため息をついた。
普段は使わない敬語を使い続けることと言い、先程の皮肉交じりの返答と言い、彼は店主が思っていた以上に不機嫌のようだ。
このままでは、会話も成り立たなくなるのも時間の問題だろう。
「…悪かった」
些かやりすぎたのだろう。
そう思ったとき、店主は必ず謝るようにしていた。
コックはすでに睨みつけるのをやめていた。
しかし、今度は店主と視線を合わせず、手元の様子を伺っていた。
「別にそう思ってないなら謝らなくて良いですよ」
「思ってないなら言わないさ。
 それは君が一番良く知ってるだろう?」
「……………」
作業を続けていたコックの手が止まった。
俯いた顔には、何かを考えている表情が浮かんでいる。
これ以上作業を邪魔するのも悪いと思い、店主は厨房を立ち去る。
そこにはまた、コックだけが取り残された。





フロアの掃除を終え、棚の整理を始めた店主の元にコックがやってきた。
彼はいまだ仏頂面で、手には皿を持っていた。
そして、無言で店主の近くにそれを置く。
「…これは」
「余りもの。
 明日売るわけにもいかないし、捨てるのももったいないし」
皿の上のものを見て、店主の口元が綻んだ。
余りものだと言う割には出来立てのときのようにおいしそうなそれは、いつ見てもあの時のままのようで。
そんな店主の様子を見ていたコックは、ため息を一つついた。
「クレープパン」
「?」
「クレープパンとクレープトンボが欲しい。
 ミルクレープを作ってみたいんだ」
彼の言葉を聞き、店主は静かに微笑んだ。
スッと紙とペンを取り出し、彼の要求をメモに写す。
「楽しみにしている」
「別に、貴方のために作るわけじゃない」
「知ってるさ」
じゃあ何故、と問い質そうとした言葉は、喉の奥へと引っ込んだ。
あまりに綺麗に笑う彼に、コックは何も言えなくなったのだ。


「君が料理を作る姿を見るのが、また楽しくなる」


その言葉は冗談なんかではなく、ありのままの気持ち。
それを理解したからこそ、コックは顔を赤くして俯くしかなかった。

拍手

PR

Copyright © Re:pray : All rights reserved

「Re:pray」に掲載されている文章・画像・その他すべての無断転載・無断掲載を禁止します。

TemplateDesign by KARMA7
忍者ブログ [PR]