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愛という名前で呼ばせて

緑が生い茂っているその姿からは、まさかこの木が春にピンク色の花弁を散らせていたことなど想像もできないだろう。
生憎オレはそんな風流な性格ではないので、ただ時間が経った程度の認識でしかなかったりする。
そんな桜の姿を一望できる中庭の真ん中にある植木は、いつの間にか特等席になっていた。
最近では女子生徒が張りこんでいることもあってなかなか近づけないのだが、あそこは本当に居心地がいい。
日差しもきつくなく、風が穏やかな日など昼寝にもってこいだ。
久々に授業を抜けフラフラとそこに行くと、見慣れたストライプ柄のバンダナが小走りに移動している姿が見えた。
次の授業は移動教室なのだろうか。だとしたらもうアウトだ。
その姿が見切れる前に、授業の開始を告げる鐘が鳴り響いた。




さて、実を言うと今現在オレは謹慎中である。
別に学校から停学処分を食らったわけではなく、所属している野球部の試合にしばらく出してもらえなくなったのだ。
自分の暴投によりチームに迷惑をかけたのは承知しているが、やはり試合に出られないとなると鬱憤は溜まる。
そうなると普段の身に入らない授業などより退屈でしかなく、初めは特等席で不貞寝でも決め込もうかと思ったのだが、落ち着かずに結局校舎周辺をうろうろしている。
そして、そこに辿り着いてしまった。
「何だ、ここ」
校舎裏、マウンドに見立てたようにこんもりと盛り上がった土の山。
その周囲にいくつもある抉られたような不可解な跡。
そして、その近くに腰掛けてたこ焼きを頬張る、サンバイザーをつけた奇妙な男。
向こうもこちらに気がついたらしく、「んー、兄ちゃんもサボリかいな」と飄々と言ってのけた。
特に嘘をつく理由もないし、この時間にここにいる時点でこいつも同じ穴の狢であるので、素直に頷く。
「そか。でも、悪いな兄ちゃん、ここはちょっと通されへんよ」
「…カツアゲ?」
「ガタイのいい兄ちゃん相手に、んな馬鹿な真似せぇへんて。
 ここは秘密の特訓場さかい、あまり荒らして欲しくないんよ」
秘密の特訓場、という言葉に、何かが引っかかった。
そう、今たった一人、そういうことをしていそうな奴に見当がついたのだ。
そして仮に作られたマウンドは、その答えに確信を持たせるには十分だった。
「…子津か」
「ああ。せやからそのまま帰ったってな、犬飼君?」
見ず知らずの人物に名を呼ばれて驚く。
が、考えてみればあいつから話を聞いたのかもしれないし、自分でいうのもあれだがオレは校内でも目立つほうの人間だった。
それよりも、目の前の男はどうしてあいつの名を知っているのだろう。
「とりあえず、1つだけ聞かせろ。
 あんた、誰だ?」
「わいはあいつに頼まれてキャッチャーやっとるもんや。
 そんだけで十分やろ」
これ以上の追求は許さない、と奴の目が語っていた。
確かに、ピッチャーの立場から考えるに今特訓している決め球の内容など他の選手に知られたくはないだろう。
ましてやオレは同じポジションだ、最も知られたくない相手の一人なのではないだろうか。
そこまで心得ているあたり、この男もただあいつに協力しているわけではなさそうだ。
「邪魔した」
それだけ言って踵を返し、その場を後にする。

踏み込めない場所があることは理解している。
オレだってそうだ、あいつには入り込んで欲しくないところくらいある。
ただ、その事実に改めて胸が押し潰されそうなのは一体どういうことなのだろう。





同い年で同じポジションの人物ともなれば、嫌でも気になってしまうものだ。
生憎オレはあいつより遅れを取っているつもりはないが、それでも見くびることができない相手であることは入部試験の時点で証明済みだ。
そして、オレという比較対象がいることで、より逆境に立たされているのも間違いなくあいつだった。
入部して僅かに告げられたバッター転向、それに抗うために会得したサイドスロー、そして現在の特別練習。
それらの苦労を表に出さず練習に取り組む姿はさすがとでも言うべきか、もう少し弱音を見せろと叱咤するべきなのかよく分からないでいる。
今あいつの手に巻かれているテーピングは、オレたちに春の紅白戦で全てを隠して連投していた姿を嫌でも連想させた。
全てを隠し通すために笑い続けたあいつのことだから、何か無茶をしているのではと全員気が気ではないのだろう。
特にあのバカ猿はあまり無理するな、と事あるごとに言っていた。
それを聞くたびにあいつは曖昧に苦笑するだけであった。

先ほども言ったが、オレはあいつになんと声をかけて良いのか分からない。
確かに心配ではあるが、オレがもし同じような立場なら、隠す隠さないは別としてもやはり無茶なメニューをこなすだろう。
そして誰にもそんなことで同情されたくないに違いない。
あいつのピッチャーとしての気持ちくらいなら、いくら不器用な自分とはいえ察してやれるつもりだ。
だからこそ、あの紅白戦であいつが降板するそのときまで何も言わずにいた。
今も「頑張れ」とか「無茶すんな」とか、そんな言葉も無意味だと思い無関心を決め込んでいる。
ただ、これはあくまでピッチャーとしてのオレがしていることで、本当のところは違う。
本当はもっと何か気の利いたことでも言ってやりたいのだが、生憎そんな言葉は思いつかなかった。


同情するつもりはない。
ここで待つつもりもない。
しかし、あいつには手を差し伸べたかった。
そんな思いをめぐりめぐらせ、いつの間にかあいつのことを考える時間が増えた。
ぼんやりながらもあいつのことが好きなのかと自覚し始めたのは、つい最近のことだ。
同性に対してそんなことを思うのはもちろん初めてで、初めは気の迷いか錯覚だろうとも思ったのだが、だんだんそうとも言えなくなっていた。
例えば、あいつが話しかけてきたときに、少し会話が長く続いて嬉しく思うこと。
何となく目で追うことが増えたこと。
あいつの意外な面が見れて、それを独り占めしたような感覚になること。そしてその他もろもろ。
自分でもビックリなことに、心底あいつのことが好きになっていたらしい。
しかし、そんな叶いもしない気持ちを引きずっていてもと思い、一度忘れようともした。
だが、なかなかそれも叶わないので、今日も今日とてあいつのことを想ってしまう有様だった。









謹慎中はどうも気持ちに焦りが出てしまう。
オーバーワークしそうなところを辰に止められ、しばらく休憩をとることにした。
マネージャーの用意していたスポーツドリンクはちょうど切れて作り直している最中らしく、なら気分転換がてらにと校内の自販機まで買いに行くことにした。
と言っても休憩時間も限られているし、肩を冷やす前に練習は再開したい。
ウインドブレーカーを羽織り、近道をしようと裏路地のような場所へと入る。
確かあのマウンドの近くを通る道なのだが、死角になるところにまでしか踏み入らないし、あいつの練習を見てしまう心配もないだろう。
そう思いながらその付近にやってきたときだった。
向こうで、何かが倒れる音が聞こえた。
足がその場で止まる。
ボールの入った箱でも倒れたか?
それならあいつの慌てる少し高めの声が聞こえてくるはずだ。
なら、あのサンバイザーの男か?
そうだとしても、やはりあいつが慌てないのはおかしい。
では、倒れたのはあいつなのだろうか?
それなら、あの男の声や歩く音くらいしてきそうなものである。
しかし、その場は恐ろしいほど静寂に包まれていた。
ゾッと寒気がして、校舎裏のマウンドに駆け込んだ。
そこには一人でマウンド上に倒れこむあいつと散らかったボールしかなかった。



思わず、叫んでいた。
「子津…!」







「軽い酸欠みたいね。練習に根を詰め過ぎたのかしら。
 とにかくすぐ起きると思うから心配はいらないわ」
保健医がそう言ってニコリと笑う。
今は安静にしておきましょう、とあいつの周りのカーテンを閉め切った。
「あと、ちょっと悪いんだけどこれから職員室に用事があるの。
 戻ってくるまで、少し彼のこと見てもらえないかしら。
 私がいないうちに起きちゃったら、彼、きっと休まずにまた練習に戻っちゃうでしょう?」
本当のところ、こいつに対してとんでもない暴言をぶつけそうになっているオレとしては、そんな申し出断ってさっさと練習に戻ってしまいたかった。
しかし、ここで放っておけないのも事実である。
答えを言いあぐねているうちに、それを了承と受け取った保健医がそこを去ろうとした。
「あ、あの」
「何?」
違います、本当は早く練習に戻りたいです。じゃないとこいつに取り返しのつかないことしでかしそうなんです。
そんなことを言おうと思った口は。
「…テーピング用品と消毒液ってどこにありますか?」
まったく別のことを口走っていた。



「じゃ、ちょっとよろしくね」
オレに用品一式を手渡した保健医はそれだけ言って部屋を去った。
扉を閉める音が響いて数秒後、カーテンの向こうが動き始めた。きっと少し前から起きていたに違いない。
とりあえず、言いたいことは山ほどある。
一人でも制球できる奴が何でオーバーワークでぶっ倒れたのか。
無茶をするのはいいがもう少し加減できないのか。
相手してやってるはずのあの男はどこへ消えた。
ここ数日の謹慎によるストレスも加算されて、感情の制御が得意ではないオレはどうでもいいことにまで当り散らしそうである。
顔は合わせたくないが、こいつを少しでもここで休ませなければいけないのは事実だった。
完全に起き上がる前に静止をさせる意味を込めて、薄いカーテンを勢いよく開けた。
「…犬飼君?」
驚いた顔がこちらを窺っていた。



今のオレは相当威圧感のある表情をしているのだろうか。
目の前の相手は少し落ち着きがない印象だった。
「あの、ここまで運んでくれてありがとうございます」
違う、いやある意味間違っていないけど、お前にそういうこと言って欲しいんじゃない。
その思いすらも顔に出ていたのか、相手は可哀想なくらいおろおろし始めた。
その姿を見ていたら、あそこまで腹を立てていたことがむしろ馬鹿馬鹿しく感じてきた。
はぁ、と溜息を吐くと、溜め込んでいた怒りまでそのまま出て行ってしまったようだ。
「とりあえず、何で倒れたか、分かるか」
とりあえず状況を把握しているかどうかは確認してみる。
流石にそれが理解できていないほど抜けているとは思っていないが。
「はいっす。ちょっと無理しすぎたっす」
「…ならいい」
理解はできているらしい。それなら余計不可解だ。
ただ、今はそれ以上追求する気にもなれないので、この話は一度終わらせて手の治療でもして時間を稼ごうと思った。
近くのイスをあいつが起き上がった位置と近い場所まで引き寄せ、そこに腰掛ける。
いつも少し下にあった顔がまっすぐ覗き込める。
「手、出せ」
「…?」
「テーピング。ボロボロになってたろ」
「は、はい」
いそいそと差し出された右手を確認してから、先ほど借りた用品一式を取りに一度席を立った。



近くのサイドテーブルに用品一式を置き、ボロボロのテープを剥がす。
いつもテープに隠れていて分からなかったが、そいつの手は肉刺が潰れた跡やすりむけた跡、ささくれがたくさん見受けられた。
予想以上の酷さに一瞬眉を顰めるが、何事もなかったかのように取り繕い、ガーゼに消毒液を滲みこませた。
丁寧に消毒を施しながら、自分の心音が上がっていくのを感じた。
俺の手から伝わる少し高めの体温が心地よい。
それに影響されてか、あんなにささくれ立っていた心がだいぶ落ち着いてきた。
消毒を粗方終わらせて新しいテープを巻きながら、ふと先ほどの話の違和感を思い出す。
思い出すと気になってしまい、つい尋ねた。
「何で、無茶した?」
何度も言うが、こいつは自分が倒れるほどの練習はしない。
どんなに無茶な練習をしていても、必要なときに休憩を挟むことを怠ることはなかった。
例えあのサンバイザーの男が不在だったとしても、受け手がいないだけで自己管理程度なら自分でも何とかできたはずだ。
そのはずなのに倒れた。それは何故か。
きっと何か別のことに気を取られていたとしか考えられない。
しかし、当の本人は押し黙ったままだった。
余程言いたくないことなのだろうか、と思うとまた溜息が零れた。
テープは徐々にこいつの手の傷を隠していく。
これを隠してしまったらこいつの心も見えない場所に隠されるような気がしたが、よく考えたらこいつは本心など一度も見せやしなかった。

こいつは心配になるほど優しくて。
誰よりも一生懸命で、純朴で、実直で。
そのせいか、こいつは隠し事をすることが多い。
自分の不安や問題は誰にも悟らせず、誰かを騙す詐欺師のようにニコニコと笑うのだ。
だからこそ、オレはもっとこいつのことが知りたかった。


「とりあえず、お前のこと良く分かんねぇ」
「でしょうね。ボクも持て余してるっす」
顔は良く見えなかったが、きっと困ったようにこいつは笑っていたと思う。
自分ですら持て余す感情は、一体誰が受け止めるのだろう。
それとも、それすら捨てていこうとするのだろうか。
きっとこいつなら後者を選ぶのだろうが、では捨てられた感情は一体どこに行くのだろうか。
誰にも知られずにそれを漂わせるくらいなら、いっそその切れ端だけでも側に置いておきたかった。
どれだけ醜くても、小さくても、それだってお前なんだろう?



「なら、余ってる分オレにくれよ」



…何言ってんだ、オレ。
しかし、するりと出てきた言葉に意外と羞恥は感じなかった。
ああ、本心なんだなとストンと納得する。
言い終わったころにはテーピングも終わったので顔を上げると、向こうも驚いたのかサッと顔を上げる。
いつも赤らんでいる頬が、今日は余計赤く見えた。
ああ、こんな顔もするのか。
今さらながら、そんなことを思ってドキリとする。
本当にこいつはオレの知らないことをまだまだ持っている。
だからこそ、オレは目の前のこいつが愛おしくて仕方がなかった。
一回り小さな傷だらけの手すら愛おしい。
両手で包み込むようにそれを持ち上げ、額に宛がう。
心地のいい温かさが、膨れ上がった気持ちを更に満たす。
「オレも、余ってる分、お前にやる」
例えば、このどうしようもない気持ちとか。
もらっても仕方がないなら、ここで投げ捨ててくれても構わないから。



ずいぶん沈黙が長く感じた。
数秒だったのかもしれないし、もしかしたら1時間くらい経ったんじゃないのかと錯覚したりした。
「ボクの余りなんて、もらってどうするんすか」
ようやく聞こえたのは、震えを帯びた小さな声だった。
余りだろうが切れ端だろうが、それがこいつの一部ならやることは決まっている。
「大事にする」
「訳分かんないっすよ」
「それでもいい。お前はどうしたいんだ?」
こいつの手を額から離し、顔を持ち上げる。
目の前のこいつは何故かボロボロ泣いていた。
驚いたが、声が震えていたこともあって少し察しがついていた。
その涙の理由までは推し量ることはできないが。
手放すのが惜しいこいつの手に左手を添えたまま、右手でただ流れていく涙を拭う。
空いた手で拭うこともできただろうに、それをしないのはこの涙こそこいつが余らせていた感情なのだろうか。
それなら、もっと泣いてほしいと勝手なことを思った。
涙を拭う指を二往復させたころ、こいつの口がうっすら開いた。
「ボクは、余りだけじゃ物足りないっす」
思ってもない答えに驚いた。
しかし、少し記憶を行きかって納得する。
こいつは心配になるほど優しくて、誰よりも一生懸命で、純朴で、実直で。
そして、自身の望みに対して身の危険すら顧みないほどに、貪欲だった。



「全部、欲しいっすよ」



涙が流れたまま綺麗な顔で笑うものだから、思わず引き寄せて抱きしめた。
向こうも力強く、オレの背を抱き返した。
肩辺りが少しだけ他より温かい。
今抱きしめている彼も、その涙も、とてつもなく愛おしく手放すのが惜しかった。
訂正する、我侭だがオレも全部が欲しい。
こいつが泣き止んだときそう言ってやろうと心に決めて、こちらにかかってきた重さを力強く抱きとめた。



「愛」という字は、はち切れそうな気持ちに苦しむ姿を記したものだと聞いた。
そして、その気持ちすら惜しくて捨てることができないから、苦しいくせに「いと惜しい」と言って人は泣くのだ。
オレの想いやこいつの感情、更にはこいつ自身すら取り込んで膨れ上がる感情はそれに似ているのかもしれない。
ただ、オレはそれを苦しいとは思わなかった。

***

攻めに「愛」の字を当てはめたのは初めてのように思います。
でも形成しているイメージ自体はいつも当てはめているものとだいぶ違ったりします。

本文と解釈が違うので説明させてもらうと、「愛」という感情は悲しみに近いといいます。
切なさを胸いっぱいに詰まらせて仰け反る姿こそが、愛という漢字の成り立ちだと聞いたことがあります。
だから、いつも当てはめるのはそんな悲しい意味での愛だったのですが、彼は大きくなりすぎて持て余している方が合っている感じがします。
ちなみに「いと惜しい」の辺りは作りました。でも愛を「おしむ」と読むことがあるのは本当です。

作品全体としても「愛」に近いものを連想させるつくりにしてみた…つもりです。
ただでさえ膨張しているのに、恋の様にいろいろなものを絡ませてもっと膨れていくイメージ。

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