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ボクは子津忠之介。埼玉県立十二支高校に通う高校2年生。
野球部に所属していて、そこでエースピッチャーをやらせてもらってます。
部活熱心で成績そこそこ。この世界のどこにでもいそうな、至って普通の高校生です。
この世界に違和感を感じるという、ただ一点を除いては。
別にこの世界全てに違和感を感じているわけではありません。
中学校までの記憶は何ら不自然のない、至って平凡な毎日でした。
違和感を感じるのは、高校に入ってからの記憶や日常のほう。
だって、万年補欠だったボクがいきなりエースとかおかしいでしょう?
そんなつじつまの合わない出来事がいくつもあることから、高校以降の自分の記憶はまるで誰かに作られたもののように感じていました。
それは大事なところが塗りつぶされた本のように、誰かの存在を隠しているようで。
しかし、歯車の歯が1つ欠けていても、どこかが噛み合っている限り世界は動き続けていたし、ボク自身、この欠けた部分が誰なのか思い出すことができないのです。
違和感といえばもう1つ。
ここ1年で霊感が身についたのか、ボクは本来見えるはずのないものまではっきり見えるようになっていました。
しかも、幽霊には足がなくて触れられないという一般論と違い、ボクの目に映る彼らは足で歩き、その手に触れることもできるのです。
初めのころは本当に見えているものとの区別がつきませんでしたが、最近は彼らの足元に影がないことにようやく気がつき、それで判別できるようになりました。
しかも、どうやら見えるのは幽霊ばかりではなく、いるはずのない異形の姿まで見えるみたいです。
その人に会ったのはついさっき。
いつもどおり練習を終えて、完全な闇色に染まりかけている道を一人で歩いていたときでした。
ふわり、と音がしそうな感じで、その人は文字通り舞い降りてきたのです。
だらしなくYシャツを着崩し、黒いスラックスと革靴を履いたその人の背には、大きな白い羽。
それだけでも充分驚いたというのに、その人に見覚えがある気がするのだから更に驚きました。
褐色の肌、銀色の髪、琥珀の瞳。
これだけ特長的な姿をしていながら思い出せないというのも不思議な話ですが、それはある1つの物事を裏付ける証拠でもありました。
――彼こそ、ボクたちが忘れている「誰か」なのかもしれない、と。
直感的にそう思ったボクは、慌ててもう一度飛び立った彼を追いかけることにしました。
上を見ながら走ったせいで途中で何度も人にぶつかって、その度に平謝りをしながらようやくたどり着いた場所は、人気のない丘の上でした。
落下防止の柵と簡素な休憩所しかない、小さな広場のようなそこからは、ボクの通う高校や、通勤なんかでよく使われてる電車などが良く見えました。
こんな町外れに来たのは初めてで、こんな場所があるなんて今まで知りもしませんでしたが、ボクはこの景色をいつか見たような気がするのです。
きっと、誰かと、一緒に。
そんなどこか懐かしい丘に降り立った彼は、しばらく息切れをしているボクをまじまじと見てから、ポツリと呟きました。
「とりあえず、力が移ってたってのは本当だったらしいな」
「………はい?」
「なんでもねえ、こっちの話だ」
ガシガシと頭をかきながら、面倒そうに彼は答えました。
そして、溜息とともにそれをやめて、改めてこちらに向き直り、彼は口を開いたのです。
「とりあえず、仕事の時間だ。
管理No.0017490-3235、子津忠之介。お前の持ってる力は、元々オレのものだった。
その力、今すぐこっちに返してもらう」
言われていることや話の内容はさっぱり飲み込めませんでした。
あまりにも非現実的すぎて、ボクの頭では対処しきれなかったのです。
けど、たった一つ分かったのは。
「…嫌っす」
「何?」
「『その力』ってボクがあなたを見て話すことができる力のことっすよね?
確かにこれがあなたのものなら、ボクはこれを返さなくちゃいけない」
「なら早く…」
「だけど」
彼が話すのを遮るような、鋭い一言。
自分でもめったに出さない強い口調に驚きましたが、このときのボクはとても興奮していて、溢れそうな感情を抑えることができなかったのです。
だって仕方がないじゃないですか。ようやく見つけたんですよ。
「この力がないと、ボクはあなたと話すことができない。
ボクはあなたに聞きたいことがたくさんあるっす、知りたいことが山ほどあるっす。
だからまだ返せません」
忘れられた「誰か」の、大切な手がかりを。
ぴくり、と目の前の彼の眉が動いたような気がしました。
彼はずっと威圧感を込めてこちらを睨んでいましたが、ボクも負けじと彼を睨み返しました。
それに負けてこの力を返してしまったら、ボクは大事な何かを思い出すどころか、全て忘れてしまうような気がしたのです。
重い沈黙が長く続くように思いましたが、彼はあまり経たない内にまた溜息をついて、張っていた気を緩めてしまいました。
そしてポケットから、なにやら良く分からない白くて丸っこい物体を取り出して、耳にはめました。
「こちら下級3隊第9階級日本支部。埼玉G-19ブロックでターゲットに接触、反応はとりあえず予想通りだ」
それだけ言うと、程なくして羽が生えたスーツ姿の人がどこからか現れました。
「やっぱり、あなただけじゃ何も解決しなかったでしょう?」
優しい声色で彼に声をかけたその人を見て、ボクはまた驚いてしまいました。
彼の姿は、ボクとまったく同じであったからです。
ボクそっくりの天使はボクを見ると歩み寄り、深々と頭を下げました。
「あなたの姿を借りて出る非礼をまず詫びさせてください。
私は元々人間ではないので、誰かの姿を借りなければ人の姿を保てないのです」
「は、はぁ…」
「さて、本題に入りましょう。
あなたはその力を返す気はないと言いましたね。ですが、その力が欠けた状態では彼はいつまでも不完全なままなのです。
それでは、こちらの仕事にも支障が出るので少し困ります」
ちらり、と後ろの彼に視線を送って、ボクと同じ顔でにこやかに目の前の天使は笑いました。
それは無邪気でいて、どことなく裏にある陰を匂わせる笑い方でした。
「そこで、その力を賭けて私とゲームしませんか?」
「ゲーム…?」
「そう。一週間だけ時間を差し上げます。
それまでに全てを思い出してきてください」
「!?」
その言葉に真っ先に反応したのは、意外にも後ろで興味なさそうに聞いていた彼でした。
驚きと困惑に染まったその顔を、またあの笑みで一瞥してから、天使はボクに向き直りました。
「全てを思い出したなら、あなたは彼と私がした約束も思い出すでしょう」
「おい」
「その時はあなたの願いを」
「おい、やめろ!」
刺すような鋭い視線で、彼は天使を睨みつけました。
しかし、天使にはそれが効いている様子はなく、つかつかと彼に歩み寄って何かを耳打ちしました。
それを聞いた瞬間、彼は酷く悔しそうに唇を噛み締め、苦々しい表情を浮かべたまま舌打ちをして俯いてしまいました。
それを慈愛を込めた笑みで満足そうに見て、天使はまたこちらを向きました。
「さて、すみません。話がそれてしまいました。
先ほども言いましたが、私と彼がした約束を思い出すことができたなら、あなたは失くした記憶を取り戻せているはずです。
それができたなら、その時あなたが望むことを1つだけ叶えて差し上げましょう。
ただし、それができなかったなら、その力を彼に返していただきます」
「…分かったっす、その賭けお受けするっす」
「子津!」
彼が咎めるようにボクの名前を呼んだ、その一瞬。
どうしようもないほど強く、心を揺さぶられました。
間違いない、ボクはこの人のことを知っている。
彼はボクをそう呼んで、ボクの腕を引いて、優しく笑って、そして…。
一瞬だけよぎった、見たことのない記憶の光景に、くらりと眩暈がしました。
それと同時に酷い頭痛が襲ってきたので、苦しさゆえに呼吸が荒くなり、とうとう立っていられなくなったボクは、その場に崩れ落ちてしまいました。
「おや、その様子だともう何か思い出せそうですね。
言い忘れていましたが、失くした記憶が埋まるとき、あなたの身体には相当な負荷がかかります。
それでも、このゲームを続けますか?」
その笑みは確かに慈悲を帯びていましたが、ボクには悪魔が笑っているようにも見えました。
苦しさで遠のきかける意識の中、ぜいぜいと息を荒げながらボクは無我夢中に叫びました。
「……っ、受け、るっす…!
あなた…に、勝って、……そし、て」
「いぬかいくんを、たすけるんだ」
目が覚めると、辺りはすっかり暗くなっていました。
何があったんだっけ。見覚えのある天使を見かけて、それを追っていったら僕そっくりの天使に会って、それで…。
「そうだ、犬飼くん…っ!?」
バッと身体を起こすと、また眩暈がして少しクラクラしました。
さっきのダメージが抜けていないことに思い至り、少し遠のいた意識がはっきりするのを待ちました。
ようやく落ち着き、自分が今まで丘にあった休憩スペースのベンチに横たわっていたことを確認してから、ゆっくりと周りを見渡しました。
探していた彼は少し遠くにある柵に寄りかかって、この街をぼんやり見下ろしていました。
少し気だるい身体を引きずってそこまで行くと、彼もそれに気がついたのかこちらを振り向きました。
「とりあえず、大丈夫か?」
「ちょっとしんどいっすけど、大丈夫っす」
笑って見せたつもりでしたが、犬飼くんは辛そうな顔をしたまま黙り込んでしまいました。
そんな彼を見ていたら、ボクより高い位置にある彼の頭へ無意識に手を伸ばしていて、子どもをあやすときのようにそこを優しく撫でていました。
触れた瞬間、ビクリと彼の体がはねましたが、払い除ける様子もなく、しばらくボクの為すがままにさせていました。
「さっきのでどこまで思い出した?」
長い沈黙を破ったのは彼の一言でした。
そう言われて思い返してみると、ボクはあんな激痛に耐えた割に、大したことを1つも思い出せていなかったのです。
それを思うと何だか悔しくて、少し舞い上がっていた気分が暗く落ち込みました。
「…あなたの名前と、あなたがボクのチームメイトだったことだけっす」
「そうか…」
「あの、あなたは何で天使になったんすか?
どうしてボクたちはあなたのことを忘れてるんすか?」
彼の頭に乗せていた手を下ろし、改めて彼に尋ねました。
しかし、彼は答えずにふいとそっぽを向いて、ボクが先ほどまで横たわっていたベンチに向かって歩き始めました。
「とりあえず、オレはお前が記憶を取り戻すための手助けはしない」
ボクと少し離れた辺りで歩くのをやめ、しかしこちらに背を向けたまま、彼は告げました。
ボクは彼も手伝ってくれるとばかり思っていたから、聞き間違いなんじゃないかと一瞬思ったほどでした。
しかし、こちらを向き直った彼の目は、ボクを拒んでいることを雄弁に語っていたのです。
「オレはお前に忘れてほしかったんだ。だからお前が賭けに負けてくれれば願ったり叶ったりだ。
あいつには側にいて手を貸してやれと言われたが、そんな施しするつもりもねえ」
「そんな…」
「だがルールはルールだ、とりあえず呼ばれたら出てきてやる」
それだけ言い残し、彼はその羽を広げてどこかに飛び去っていきました。
彼は確かに、ボクが記憶を取り戻すことを拒んでいました。
だけど。
「だったら何で、あんな顔するんすか」
去り際に見せた辛く寂しそうな横顔が、どうにも頭から離れそうにありませんでした。
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